実は毎日の「食」と世界はつながっている。食糧難などの未来を意識して「今何をするか」をみんなで考えた【未来の里山研究会 第3回】
未来の里山って、何でしょう?
みんなで考え、そのイメージをつくっていくため、2023年秋に立ち上がった「未来の里山研究会」。
第1回の講師は総合地球環境学研究所所長を務める山極寿一さん、第2回の講師は土の研究者である藤井一至さんでした。
第3回の講師は、農業研究者であり、教育分野の著書もある篠原信さんです。
主に、食糧やそれにまつわるエネルギーについて、教えてくれました。
篠原さんの「起こるかもしれない」未来の話に耳を傾けながら、それぞれが普段の生活ではなかなか考えないようなことに思いを巡らせる、いい時間になりました。
そんな第3回の様子をお届けします。
(しのはら・まこと)
農業研究者。「有機質肥料活用型養液栽培研究会」会長。
大阪府出身。1995年、京都大学農学部卒業。京都大学農学博士。
中学時代に偏差値52からスタートし、四苦八苦の末、三度目の正直で京都大学に合格。大学入学と同時に塾を主宰。不登校児や学習障害児、非行少年などを積極的に引き受け、およそ100人の子どもたちに向き合う。
本職は研究者で、専門は微生物、植物病理、肥料、土壌、養液栽培(水耕栽培)。不可能とされていた有機質肥料の使用を可能にする養液栽培の技術や、土壌を人工的に創出する技術を開発。世界でも例を見ない技術であることから、「2012年度農林水産研究成果10大トピックス」を受賞。
著書に『そのとき、日本は何人養える? 食料安全保障から考える社会のしくみ』(家の光協会)、『子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法』(朝日新聞出版)などがある。
また、Xでのフォロワーは13.5万人(2024年10月現在)。@ShinShinohara
「そのとき」に未来の里山はどうあるべきなのか
はじめに、『株式会社エーゼログループ』の代表取締役CEOの牧大介が挨拶しました。
「本日は『未来の里山研究会 第3回』です。この会を通じて、どんな未来をつくっていけたらいいか・つくっていきたいと思うかをみんなで考えて、イメージを共有できたら、きっと僕らはより力強く元気に仕事をしていけるし、価値のある何かを未来に向けて残していけるんじゃないかなと思っています。
篠原信さんの著書『そのとき、日本は何人養える?』(家の光協会)を読ませていただきました。本当によくこれだけ丁寧に調べて分かりやすくまとめておられるなと。どうしたらいいのかっていうことよりも大事な問い、どういう課題があるのかをしっかりと誠実に書いていらっしゃいます。
篠原さんに来ていただきたいと思った理由は、まさに『そのとき、日本は〜』というタイトルの「そのとき」ですね。もしかしたら「そのとき」は来ないのかもしれないけれども、来たらどうしようっていう不安はじわじわ高まりつつあります。「そのとき」に未来の里山はどうあるべきなのか。我々はどういう役割を担うべく、準備を今からするべきなのか。それらは、とても大事な切り口だと思います。
未来の里山って何だろう、どういう価値を将来において持つべきだろうという問いを深めていくための、大事な問いを篠原さんからいただけるんじゃないかなという期待をしながら、面識はなかったんですけども、『来ていただけませんか』とお願いをして、心よく引き受けていただきました。
聞いてみると、篠原さんは京大の学部の1つ上の先輩で、どこかですれ違ったり、ソフトボール大会で対戦したりしていた可能性はあると思います。実は、ご家族と来村いただき、昨日も一緒に村内の川で遊びました(笑)。篠原さん、よろしくお願いいたします」
篠原さんの講演が始まりました。
「ご紹介ありがとうございます。私は、普段は農業を研究する組織で研究の仕事をしています。主に、水耕栽培で有機肥料を使う、ちょっと変わった技術の研究です。今日お話することは、そういう仕事とは別で私個人が調べた、日本が置かれている状況です。それらをふまえて一体どうしたらいいのかは、私も悩み続けていまして、ぜひ皆さんにも一緒に考えていただけたらと思います。
私は『どっちが本業か』って思われるぐらい、X(旧・Twitter)で積極的に情報発信をしております。あるとき子育てのことを書いたら、知人から相談を受けて、部下育成の話にもじって書いたら、それがバズって、出版社から『部下育成の本を書いてみませんか』という話をいただきました。その本のあとがきに『一番関心があるのは子育てだ』と書いたら、『子育て本を書いてみませんか』とお声がけいただき、子育て本を出版して……と、そんな風に何冊か本を出させていただきました。
今日お話するのは、先ほどご紹介いただいた『そのとき、日本は何人養える?』という本の第1章の内容が中心です」今のお米は、石油でできているといって過言ではない
「今、日本の人口は約1億2570万人です(2021年現在)。日本の国土だけで、一体どれくらいの人を養えるのか、問いを立てて調べてみました。石油が簡単に手に入るんだったら、9000万人ぐらいの食糧はつくれるけども、残る3570万人分は不足していて、餓死していただく必要があります。石油が全く手に入らない場合は、3000万人分ぐらいの食糧はつくれるかもしれないけど、9570万人には餓死していただく必要があります。
石油と食糧に何の関係があるのか。化学薬品である農薬は、石油から製造しています。トラクターなどを動かすときの燃料も石油です。意外なところでは、肥料をつくるのにも、むちゃくちゃエネルギーが要るんです。
お米に例えてちょっと計算してみました。1955年、化学肥料もトラクターもまだ普及してない時代には、1kcalのお米をつくるのに0.9kcalのエネルギー、つまり石油を投入する必要があり、1割ぐらいのエネルギー的な黒字がありました。ところが1971年、化学肥料もトラクターも使うようになった時代には、1kcalのお米をつくるのに2.6kcalの石油を燃やさないといけなくなりました。2000年、農作物として収穫されているエネルギーを全部カロリー計算すると、カロリーの1.28倍、石油を燃やしているんですね。
つまり今のお米は、石油でできているといって過言ではない状況です。今、日本のカロリーベース食料自給率は38%らしいんですけど、農業に使われている石油もカロリー計算した、エネルギーベース食料自給率を計算すると、マイナス28%になります。これはまだ甘い数字で、肥料を製造するときのエネルギーや機械を製造するエネルギーは、計算に含まれていません。それらも考慮すると、マイナス179%になります。
窒素肥料だけではなく、リンやカリを化学肥料に替えるのにもそれなりのエネルギーが要ります。石油が高騰すると、化学肥料の値段も上がる構造なんです。だから肥料イコールエネルギーと言ってもいい状態ですね。
ウクライナ侵攻が起きたとき、化学肥料が高騰しました。なぜかと言うと、ロシアは肥料の製造国として大きく、硝酸アンモニウムという重要な肥料の世界シェアを45%も握っていました。この国から肥料を輸入することができなくなり、肥料が手に入らないと大騒ぎになったんです。こういう一時的なことでも手に入りにくくなる課題があります」
石油を使っていない技術は全然進歩していない
「では、有機農業にすれば解決するのかを考えてみたいと思います。みなさんご存知の通り、今日本には食品ロスが大量にあり、これが有機肥料として使えるだろうと。私、新人のときに先輩から『日本の肥料は牛のうんこだけで賄える』と教えられたんですね。でもここでちょっと考えていただきたいのは、牛は何を食べていますか。溢れ返る食品ロスも、元をたどればどこから来ているか。海外から輸入した飼料や食糧なわけですよね。これらが手に入らなくなったとき、本当に有機肥料ってあるのだろうか、という疑問が湧いてきます。
私は以前、日本の農業研究者が参加している作物学のメーリングリストで『江戸時代よりも発達している農業技術ってありますか? ただし石油を使わない前提で』という質問をしました。そうしたら1ヶ月ほど議論が続いたんですけれど、石油に頼らないんだったら食糧増産に結びつくような農業技術は一切開発されてないという結論になりました。つまり、石油を使った技術が磨かれただけで、石油を使っていない技術は全然進歩していないんです。
カナダの科学者であるバーツラフ・シュミル氏が『世界を養う』(農文協)という著書で、もし化学肥料を一切使わずに有機肥料だけで食糧をつくったら、地球でどれくらいの人を養えるのかを試算していて、おそらく30億人から40億人までとしています。今、世界人口は80億人を超えたそうなので、約半分です。日本の問題だけではなく、世界の問題でもあるということになります。
次に、お米以外でどうにかならないかを考えてみたいと思います。1998年に農水省がシミュレートしたデータによると、コシヒカリのようにおいしさだけを追求したお米ではなく、収穫量の多い米の品種にしたり、稲作が不向きな土地では芋を育てたり、あらゆる努力をすれば1人あたり1760kcalの食料をつくれます。でも1日に必要な摂取カロリーには足りません。およそ1億人分はあるけれど、2500万人は餓死してくださいねという計算になってしまい、圧倒的に食糧が足りません」
エネルギーや食糧の大幅な値上がりは、いつでも起こり得る
「さて、食糧も石油も全く海外から輸入できないなんて極論すぎると思われるかもしれません。すべてなくならないにしても、食糧や石油が10倍に値上がりすることはあり得ると思います。1998年、アジア金融危機が起きてインドネシアの通貨ルピアが1/7に下落しちゃったんですね。そうするとパンやお米が7倍の値段に上がったんです。インドネシアの都市部では食糧が消えてしまって、厳しい食料危機が起きました。
ロシアのウクライナ侵攻が起きたときも、小麦は上がりました。かつて石油は1バレル20ドルで買えたのが、今は7倍に値上がりしています。だからこういうエネルギーや食糧が数倍に値上がりするのは、いつでも起こり得るんじゃないかなと思います。
そうは言っても、日本は経済大国です。日本経済が破綻することがあるのでしょうか。日本の円を支えているのは、やはり日本の技術力なんじゃないかなと思うんですけども、企業がどんどん海外に移転し、産業の空洞化が起きています。その結果、日本の企業の数は484万社あったのに、今は100万社以上減っています。
人口問題研究所の試算によると、2050年の日本の人口は9000万人ぐらいだと言われています。2050年ぐらいまでは、完全自給できるほどの数字まで人口が減っていないと考えると、ここ数十年はなんとか、日本は食糧かエネルギーか肥料のどれかを輸入しないと飢えてしまう。それは課題なのだと思います」
家農は農地を守るシステムをつくる必要がある
「石油、石油って言っているけれど、大きなものを忘れていると思われた方もいらっしゃると思います。自然エネルギーです。太陽電池でなんとか賄えないか、計算してみました。日本の電力をすべて太陽電池で賄おうと思うと、日本の陸地の2%に太陽電池を敷き詰める必要があります。平野部では、1割方の面積、太陽電池を敷き詰めなくてはいけない。自動車などの燃料もまかなおうと思ったら、平野部だけでやったとしたら、平野の42%が太陽電池になります。
石油がなぜそんなに優秀なのか。ガソリンは1Lあたり8000kcalものエネルギーを蓄えることができます。これをエネルギー密度と言うのですが、石油は高いんです。優秀と言われているリチウム電池は、1Lあたり500kcalしか貯められません。だからガソリンタンクの代わりに電池を積もうと思ったら、20倍の大きさの電池を積まなくてはいけない。そんな重い電池を載せると、余計に自動車の燃費が悪くなります。
ただ、石油がエネルギーとして意味をなすには、EROI(エネルギーの投資に対する回収率)が3を超えないといけないそうです。掘りたての石油で自動車は走らないからです。ガソリンに加工したり、軽油に加工したりしなくてはいけない。しかも、必要とされる場所にまで、ガソリンや軽油を運ばなくてはいけません。太陽電池のほうがこのEROIは改善されています。石油よりも優良資産になっているんですね。
さて、ここまでずっと黙っていました原子力さん、登場です。「原子力さえあれば、エネルギーは、なんとか賄えるんじゃないの?」というところを考えてみたいと思います。原子力は巨大なエネルギーで、東日本大震災が起きる前の2010年では、電力の約3割、すべてのエネルギーの14%を賄えていました。実は原子力のエネルギー源であるウランは資源量が限られているんですよね。今の原発の数でしたら、170年分の資源量があるんですけども、アメリカや中国、ヨーロッパ各国が原発の数を5倍に増やすと、30年分ぐらいしかウランの資源がありません。
食糧難の話をすると、『農村部では大丈夫だった』とよく聞きます。日本が戦争に負けたとき、都市部では芋すら手に入らない状況でしたが、農村部では違ったと。当時、推計では国民の55%が農村部にいました。疎開もあり、都市部のほうが少数派だったから農家のほうが強く出られたんですね。
でも今、日本の農家は152万人しかいません。1億2400万人は都市住民と言っていい状態なんですね。もし食糧が手に入らない状況になったら、燃料をかき集めて農村部に一斉に押し寄せて、100人の都市住民が稲刈りしているのを見て、1人の農家が呆然とする状況が十分生まれると思います。農家はこれから都市住民の人たちと連携を組んで、農地を守るシステムをつくる必要があると思います。そういう意味ではこういう里山がすばらしい食糧基地になると思います。
また、日本の場合は非農家がたくさんいて、それなりに稼いでいるから、食糧を一定の価格で買いとってくれます。だから農家もある程度貯蓄できます。餓死者を出さないためには、非農業の産業が元気でないといけないという、非常に皮肉な状況があります。日本が飢えないようにするために、農業を盛んにすることは必要なんですが、非農業の産業に元気でい続けてもらうことも、極めて重要です。エネルギー消耗の低い輸出産業を育成する必要があると思います。
資源をなるべく消費せずに済む生活スタイルも重要になってくると思います。一人ひとりに『食べ物をつくるって、どういうことなんだろう』と、プランターサイズでいいから、経験していただきたいなと思います。
あと、日本人は世界平均の3倍も石油を使い、世界平均の2倍天然ガスを使っています。世界平均に減らしてもなお、生活の満足度を下げずに済む、それなりに楽しい生活を送れるシステムの開発も、一つの目標になると思います。
夢も希望もない話になりましたけれど、絶望してくださいって言いたいわけではなくて、二人の子どもを持つ人間として、私もなんとかしたいと思います。決定的な解決策はないけれども、みなさんがそれぞれの立場でやれることを一生懸命考えてやっていくことが必要です。ご清聴ありがとうございました」
意識を灯しておけば仲間が増え、
危機のときに動き出せる
講演後、「篠原さん、どうもありがとうございました。この後は、篠原さんからいただいた問いに対して、僕たちに何ができるのか、考える時間がつくれたらと思っています。確かに絶望的な話ではありますが、でもそこに向き合って、それを超えていけるか、チャレンジを続ける会社になれるかどうかということが、僕たちにとって大事だと感じながら聞かせていただきました」と牧が話しました。
この後、『株式会社エーゼログループ』のCTO兼CQOである佐藤道明のファシリテートにより、参加者は近くの3人で1組のグループをつくって、篠原さんの話を聞いて感じたことを5分ほど話し合いました。
次に、各自が心の中に残ったキーワードや問いなどを紙に書き、それを数名が発表しました。
「一つのもので一つの役割ではなく、一つのもので複数の役割を担うことができるのでは。昔でいう馬搬など。現代では何なのかを考えたいです」
「ふだんは東京に住んでいます。みなさん忙しいので、大事なエネルギーや食糧の問題をどうやって生活に取り込んでいくかを話したいです」
「食糧難のとき、人が鬼になるという言葉が印象に残りました。資源が枯渇したとき、鬼にならないためにどうしたらいいかに関心が生まれました」
「食をテーマにすべてのものが交わっている。そこを起点にストーリーをつくることを追求したいと思いました」
「新しい資本主義を想像しなければならないし、精神的な豊かさも考えないといけないと思いました」
参加者はこれらのトピックスから一つを直感で選び、発表した人のもとに集まり、グループで15分ほど話し合いました。
話し合いが終了後、「今日持ち帰る言葉や問い」などをそれぞれがメモし、佐藤はすべての参加者にマイクを回しました。一人約30秒ずつ感想を述べたのです。いくつか紹介します。
「グループでの話し合いで出た、働くことと暮らすことの壁をどんどんなくしていくことが、一つの答えかなと。そこを意識してやっていきたいと思いました」
「物事を知る大切さ。そして実行すること、伝える大事さを学びました。まずはコンポストをつくって、周囲に軽く伝えていこうと思いました」
「楽しく変わるということが大事で、あくまで結果としてのサステナだなと思いました」
「不自由を押し付けられるのはいやだけど、自分で不自由を選んで、決めれば自由かなと思った次第です」
「私ができることは何かなと考えたとき、やりかけの畑があるので、そこをもっと頑張っていこうと思います」
最後に、篠原さんと牧から次のような挨拶があり、第3回は終了しました。
「みなさん、ありがとうございました。一つ思い出したのは、東日本大震災が起きたとき、私は3月19日に被災地へ入りました。物資が偏ってしまい、被災者に細かく届ける毛細血管がない現場の状況を発信したりしました。一方で私は、被災地の現場に行くべきではないかと悩む都会の若手官僚の方たちに『今の仕事を大切に行ってください』とお願いしました。今日のお話も、今の仕事をおろそかにしていいわけではないと思うんです。生活を急に改める必要はない。だけど、心のなかに未来へつながる意識を持てばいいと思うんです。次の時代に何が必要なんだろうと意識を灯しておけば、仲間が増えていくもので、いつか危機があったときに動き出せると思います」(篠原さん)
「ジャーナリストが本来やるべきことを、ジャーナリストではない農業研究者が大事な情報を集めて、整理して伝えていらっしゃるので、日本で貴重な活動をされていると思いました。篠原さん、ありがとうございました」(牧)
後日、牧に感想を聞きました。
「誰もそんなに切り込んでいなかったテーマに対して、ちゃんと細かくデータを集めて整理された。大事な危機感を社会と共有していくのは、直接的なメリットがないから、メディアにものらないし、誰の商売にもならない話なんですよね。篠原さんは純粋な好奇心と問題意識をお持ちで、自分で深く考えて分かりやすく整理して発信する、稀有な方ですよね。
長期的に大事だと思うことに取り組んでいきたいし、地域の暮らしが維持されるための基盤として未来の里山を考えていきたいと思っていたので、会社のメンバーと共有できて、よかったです。何のために未来の里山があるのか、人がサバイブしていく基盤として、時間をかけてより豊かなものにしていくことが大事なんじゃないかなと思いました。
研究会の後、篠原さんが西粟倉でのことをnoteの記事にまとめてくださいました。『エーゼロゼログループ』では今、ビオトープならぬ『ビオ田んぼ』の取り組みをしているのですが、篠原さんがおもしろがってくださり、田んぼで炭水化物だけではなく、タンパク質もつくれるっていいですよね、と。楽しくておもしろくて、食糧安全保障という危機管理にもつながるビオ田んぼの取り組みはいいなと。正面から挑んでいくべき課題をクリアに示していただけて、さらに自分たちの出番があると思えました。
篠原さんに西粟倉村を楽しんでいただけてよかったですし、実は今度、僕たちが篠原さんの地元へうかがうことになっていて、今後の交流を楽しみにしています。回を重ねるごとに素敵な仲間が増えていることも嬉しいです」
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予告編
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1部 篠原氏の講演
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2部 参加者の対話